活躍するOB

医療法人社団仁志会
弥生歯科医院 院長

昭和61年度 卒業生 佐藤 淳一

卒業生インタビュー繋がり

小学生の頃、「ブラックジャック」に憧れ、ひそかに「外科医」を目標に勉強はしていました。高校へ進学したものの、勉強しても成績はトップにはなれず、医者への道は半ば諦めかけていました。理工学部の航空宇宙工学科へ興味を持ちそちらへ行こうかと悩んでいたところ、高校3年生の担任の先生に、「歯学部なら推薦大丈夫そうだぞ。歯学部にも口腔外科があるぞ。行ってみたらどうだ?佐藤はそっちが合ってるぞ」と、背中と押してもらい、歯学部へ推薦で入学しました。

歯学部に入学することはできましたが、同級生の親は医者、歯医者率がかなり高く、事務職を父に持つ私は自分勝手に抱いたアウェイ感と劣等感から、今一つ目標がぼやけていました。

しかし、豊山出身で自分と同じような気持ちを抱いていた友人がおり、2人で勉強に励みながらこの劣等感を「見返そう」といつしか思うようになりました。そして2人で大学4年の成績のワンツーフィニッシュで特待生となり、とても嬉しかったのを覚えています。それは決して自分達だけの力ではありませんでした。自分達は、周りの同級生に恵まれ、勉学やプライベートでも沢山励まされ助けられました。さらに、歯学部では日大豊山卒業のOBの先輩方の会「豊山会」があり、沢山の豊山卒業の先輩方と知り合う機会があり、大学生活中は勉強や実習とろいろと手厚く助けてくださいました。そのおかげで無事に卒業できました。

国家試験合格後は、大学病院の口腔外科で約10年間勤務をしました。医局の先輩に「大学病院勤務もいいが、開業医が向いているのでは?」と勧められ開業を決意し、池袋で開業しました。その後20年以上も会っていなかった高校時代の先生方と歯科医院で再会することとなり、診療を以ってお世話になった時のわずかばかりの恩返しができているのかな?と自分の中ではとても嬉しい気持ちで治療させていただきました。

中学、高校の同級生が突如、歯科医院へ来たり、豊島区の歯科医師会での先生からは、「僕も豊山卒業だよ、担任の先生は○○先生だったよ。」、患者さんから「先生、実は自分も豊山の卒業生なんですよ。」など、いろいろな場面で豊山の卒業生と遭遇します。

学生時代はもとより、社会にでてからも、さまざまな場所で人は「繋がって」います。いろいろな意味で「日大豊山卒業」も些細なことであっても繋がっていることが必ず実感することと思います。また、その「繋がり」の強さを感じることが、年を重ねていくごとにとても嬉しく懐かしく思います。今後もたくさんの「日大豊山卒業」の方々との「繋がり」を大切にしていきたいと思います。