
進路・進学活躍するOB
豊山で得た一生の財産
豊山で育まれた「人と向き合う力」
「スポーツ実況がしたい」という夢を叶えるため、アナウンス職の募集がある放送局を全国各地で受験。そんな中で内定をいただいたのが、沖縄県にあるケーブルテレビ局でした。現在はディレクター業も兼任しつつ、高校野球や中学駅伝といったアマチュアスポーツの実況、情報番組のナレーション、リポーターなど、幅広い業務に携わっています。
現場では、初対面の方から本音を引き出すことも求められます。だからこそ、取材の際には相手との距離をどう縮めるかが大切。日大豊山には、性格や趣味を問わず多様な人を受け入れる「大らかさ」がありました。誰とでも分け隔てなく接することができるようになったのは、その環境があったからだと思います。
そして、もうひとつ。豊山で徹底的に教え込まれたのが、「挨拶」や「返事」といった基本的な礼儀です。知らない人にも自分から挨拶をすること。大きな声で返事をすること。そんな積み重ねを6年間続けたからこそ、今でも「爽やかな挨拶だね」と褒めてもらえることがあります。人と関わる仕事をしている今、あのときの教えの意味を日々実感しています。
挑戦する楽しさを知った豊山の6年間
中学入学当初、正直なところ成績はあまり良くありませんでした。でも、豊山の授業は私の知的好奇心を揺さぶり、勉強が楽しくなっていきました。特進クラスでは、難関大学を目指す仲間たちとテストの点数を競い合い、教え合いながら学力を高めました。最終的には高校3年生で学年上位の成績となり、指定校推薦で大学に進学することができました。
学校生活の中でも、特に思い出に残っているのが豊山祭。演芸コンテストに6年連続、一人で出場し続けました。高校2年生のときには、柳沢慎吾さんの「ひとり甲子園」のモノマネで優勝。毎年、客席から友人や先生が大きな声援を送ってくれたのが本当にうれしくて、人前に立つことの楽しさを実感できた時間でした。
高校生のうちから、未来を肌で感じる
高校3年時には「高大連携教育プログラム」を活用し、放課後に日大のキャンパスへ通って法学部新聞学科の講義を大学生と一緒に受けました。高校生のうちから、大学の雰囲気に触れ、ジャーナリズム論の基礎を学べたことは、今の仕事にもつながる貴重な経験となっています。進路に悩んでいたときも、豊山の先生方は親身になって話を聞いてくださいました。先生と生徒の距離がとても近く、教わった多くのことは、人生の選択に迷ったときのバイブルになっています。
「好き」に素直になれる場所
豊山は、誰もが自分の「好き」に夢中になれる学校です。クラスでは比較的おとなしいタイプだった私ですが、周りの仲間たちが勉強や部活動に全力で打ち込む姿を見て、自分も負けていられないと刺激をもらっていました。例えるなら「静かな松岡修造さん」といったところでしょうか(笑)。男同士、見栄を張らずに等身大の自分でいられた日々は、今では大切な宝物です。
豊山を目指す皆さんへ
日大豊山には、どんなにカッコ悪い姿でも、肯定して受け入れてくれる仲間がいます。だからこそ、失敗を恐れず、いろいろなことに挑戦してほしいと思います。
私自身、現在は地元・埼玉県を離れ、縁もゆかりもなかった沖縄で働いていますが、だからこそ出会えた人たち、広がった世界があります。中高時代にも、もっと積極的にいろんな人と関わっていれば良かったなと思うこともあります。他クラスの生徒と話してみる、語学研修に挑戦してみる。そんな一歩が、将来の選択肢を広げてくれるかもしれません。

